中国・焼物探訪 その⑤

中国・焼物探訪 その⑤

北京から遥か遠く離れた河南省の焼物探訪は日本人の私にさえ郷愁と人間の温かさを感じさせた。
現地の陶芸家たちとの交流は国を超え、目指すジャンルに関係無く陶芸という共通項で身振り手振りだけでも理解ができる。規模の大小はあるが4,5軒の陶芸家や窯元を案内して頂き其々の家族と交流し技術や意見交換し有意義な時間を過ごせた事は嬉しい限りでまたの再会を約束した。

この河南省の旅で感じた事は都会よりかなり遠く離れた地方においては生産基盤は確立できても販売部門に苦労してる様子が分かる。
政府や省、陶磁器関係者は少しでもこの埋もれた文化的遺産を世界に知らしめ経済的発展を希望している様だ。観光資源としてはまだまだ整備が遅れている様にも思えるが急激な発展はリスクも大きいだろうと思う。
この郷愁あるのんびりした人々の暮らしと経済発展のもたらすギャップは否が応でもその時期が来るだろうと思う。50年位前の日本の田舎の暮らしと大都会・北京の格差。飽和状態の都会に向かわずその地方で産業を発展させ、独自の都市化を目指した方が良いと思うのだが…。

 

中国・焼物探訪 その④

中国・焼物探訪 その④

いよいよ今回の目的である河南省への焼物の旅。
まずホテルから新幹線の駅まで40分位、やはり市内は車が多くカーチェイスさながらで手が汗ばむ(笑)
北京西駅に到着し新幹線で約3時間の小旅行。駅は人で溢れている。後で聞いて驚いたのは新幹線に乗るにも乗客が多すぎて毎日制限されていると言う。市内の車も北京市街からは車のナンバープレートの末尾で入場制限をかけられるらしい。
そしてチケットを取得するにも前もってパスポート番号をメールで知らせ取ってもらった。入場の際もパスポートの提示と顔認証が必要となる。
何処に行っても途轍もなく人が多い。日本の人口の約14倍だ。ある意味自由化したら大混雑が起き大変な事になる事も容易に想像がつく。地方から都会へ。日本も同じだが絶対数がまるで異なる。
新幹線にて約3時間程、田園風景の中をゆっくりした速度で駆け抜け日本の表記には無い漢字の駅名で降りる。
降りたホームには何も無い、コンビニも弁当屋も畑の中にコンクリートの駅。
そこには陳小林先生の友人が車2台を手配してくれて挟県(やはり字が異なるが)へ約1時間ほど高速道路をぶっ飛ばす。やはり怖いくらい荒い運転でヒヤヒヤしてしまう。最低速度60キロの表示さえあり、常時160キロは飛ばしてる。右へ寄ったり左に寄ったり殆どが真ん中を走る。(笑)
前方に車があるとクラクションを鳴らし威嚇?する。
運転免許書の交付は届出制なのだろうか? 省が異なっても中国人の気質は変わらない。
精神的にハラハラドキドキの為か何もしてなくても疲れ果てる。

到着後先ずホテルにチエックインして荷物を預ける。部屋に入るとあれ? ちょっと変。。。
ベットルームからガラス越しに浴室が見えるしナイトテーブルには避妊具らしき箱がいっぱい置いてある。ひょっとするとこのホテルはラブホを改装した感じか。
暫くしてフロントホールに降りて行くと数十人の人だかり。
聞けば政府の役人、省のお偉いさん、TV局、新聞社、現地の陶芸関係者。。。
一体私を何て紹介したのだろう。過大評価も甚だしいと思いながら先生を演じるしか無い。

河南省のこの県の辺りは黄道窯址と言われ唐代からの古窯群が無数に存在している。
発掘品を見せられると中国陶磁の源流では無いかと思える程年代ごとに多種多様な技法や釉薬が稚拙ではあるが見られる。驚きを隠せない。
何故これだけのものが世界的に有名にならず放置されているのか?と聞いた。
最近やっと政府や地元の省が力を入れて保護していると言う答えが返って来た。
ここが更に研究され整備され保護が進む事を期待したい。政府や省のお役人さん達はこの黄道窯址を世界的に認知してもらい観光や輸出、商圏拡大などを期待してるのだろうと感じた。この後は大宴会に出て来る48度や52度のお酒に人生最大のピンチが持ち受けているとは思いもしなかった。

 

 

中国・焼物探訪 その③

2017.9.2  北京2日目。

やはり身体が疲れているのだろう。けたたましい目覚ましのアラームで仕方なく覚醒する。坐骨神経痛による痺れと痛みが中国に来ても変わる訳も無くヨロヨロと立ち上がり重いカーテンをる。快晴である。昨日の澱んだ低く垂れ込めたモヤに包まれた北京とは大違いで、まるで歓迎してくれているかと錯覚する位に晴れ渡り見渡す限りの青空である。
この部屋からは北京の市街が一望出来て車の渋滞の凄さがわかる。前回に比べ自転車の走る大群は姿を消しその分自動車が増えている。
昨夜の空港から北京までの道すがらのカーチェイスに驚き無駄であろうクラクションに苛立ったがこの車の多さと無秩序な走行ではやむを得ない気もする。

今回の訪中の根回しをして下さった北京師範大学の教授であり書画や篆刻では人間国宝の陳小林先生の自宅兼工房に御招待されており、やはりお世話になっている李先生の息子さんが車で送迎してくれると言う。至れり尽くせり。
陳小林先生ご家族は昨年佐渡に来ており一年ぶりの再会。言葉は通じないのだが物作りの精神は国を問わない。しかし会話ができたら更に分かり合えると思うと少し寂しい気もする。国の体制や言語は違っても全然問題は無い事はお互い確認済みであり、いつの日か共同展示出来たらと話した。

陳小林先生の週末の住まいは2時間位掛かる郊外にあり環境抜群な場所にある。大学勤務とは違う制作の場所にはベストだと思う。
綺麗でとても可愛い奥様と長女のチェンチェンちゃん、愛が溢れるご家族に思わず微笑んでしまう。
お土産の交換をして親交を温め、美味しいランチもご馳走になる。
その後は前回も訪れた故宮博物院と天壇公園の散歩。
その規模の大きさに改めて当時の権力の絶大さが否が応でも理解できる。
明日は早朝から新幹線にて河南省へ向かい唐代からの古窯址の調査や現地の陶芸家たちとの交流会だと言う。どんな出会いが待ち受けているのか楽しみだ。 続きを読む

中国 ・焼物探訪 その②


2017年9月1日、金曜日 CA182にて一路北京に向かう。                                                四時間半のフライトなのだが日付変更線で1時間戻すので実質3時間半?
昨日までのデパート出店と指の化膿での抗生物質の投薬の為か泥の様に
眠った様だ。機内の様子はまるで記憶にない。

後で調べてみると中国への旅は約15年ぶり位だった。
何故中国なのか?と言うと私の仕事が無名異焼の窯元の代表であり、そのきっかけは跡継ぎという事もあるが美術館にて国宝の曜変天目に出会った事にある。
その時の記憶では館内は人で溢れ鬱陶しい気持で歩いていたが急に気配が変わり振り向いたらスポット浴びて宇宙の輝きを放つ強烈なパワーを放ち圧倒的な存在が在った。
動きたくても金縛りにあった如く動けなくなった。気がつけばもう閉館ですよと警備員が肩を叩き外に出た。それが運命の出会いだった。

窯元に生まれ反発してもいずれ背おう運命だったのかも知れないが自分の中では自由は制限されるのはわかっていた。父の代は問屋に卸し家族や従業員の為に朝から晩まで働き詰めで同じ物を飽きるまで作る。忙しさのあまり地元の行事や子供の学校関係の事もノータッチ。
子供ながらに寂しい思いもしたが自分の子供にはなるべく繰り返したく無かったが結果は子に聞くほかはない。
曜変天目に出会う事が契機となり、自分の中でマイナスを受け入れ最終的には出来るものなら再現したいという夢に向かう目標を得た。暇があれば天目や青瓷、辰砂、鈞窯など中国陶磁の本を読み釉薬の研究を始めたが、いきなりの曜変天目は無理だと理解し裾野から目指す事にした。もちろん家業を第一としながら。全てが後で繋がるのは不思議なものである。

そんな自分の目標を繋いでくれるのは不思議な事ながら人の御縁だと思う。
感謝しかない。それを忘れず私も出来るだけ繋いでいかねばならない。恩返し。

前置きは長くなるのは仕方ないが取り敢えず北京空港に着く。

空港内も15年ぶりの為かすっかり変わっていた。
全てが近代化されデジタル化されていてパスポートに情報がインプットされているし顔の認証もされる。ただ人間の性質は変わらない。
入国審査では中国人と外人は分けられ、どんなに外国人が溢れ行列が出来様がマイペースな対応をする。日本人の感覚とは随分異なる。審査で約1時間要する。帰国は早めにしないと無理だと感じた。
日中関係の悪化の為か日本語の案内が極端に少ない。そういえば車も日本製を見かけなくなった。聞けば市民は日本製が好きな人は多いらしいのだが。
空港からモノレールが出来ていた。出迎えてくれるのは李先生や孟さん。佐渡にも遊びに来ているし日本語も通じるので安心出来る。ホテルやスケジュールも全て手配して頂き最初から何の不安も無く北京の地に立つ事が出来た。
ホテルは北京華僑大廈酒店。立派なホテルなのに安い。ディナーはホテル内のレストランで。
朝はバイキングでとにかく美味しいものが盛りだくさん。。。後で後悔するのだが。。。

先ずは北京の1日目は爆睡。

 

 

中国・焼物探訪 その①

2017年9月1日から六日間、二度目の中国を訪問して来ました。
今回の主な目的は河南省陜県黄道で発見された唐・五代の古窯の黄道窯の調査と陶芸家達との交流でした。
黄道窯は世界的に価値があるにも関わらず、あまり知られていない歴史のある窯跡群が明代から宋 代にかけての窯跡が無数にあります。
現地で破片などを採集すると中国焼物の基礎となる様な釉薬や技法が見つかります。
中国政府も河南省も発掘調査を進める一方、保存しその実態を世界に知らせたいと言う事で一生懸命努力しています。

日本からの陶芸関係者の訪問も私が初めてとの事で政府関係、陶芸家、少林寺の大師の方々から出迎えて頂きました。
テレビ局や新聞社のクルーも含め数十人の歓迎にこちらもただ驚くばかりでした。

古窯址の見学調査でも前もって藪草刈り跡に気づきそのさり気ない配慮にとても恐縮しました。
丁寧な説明と陶器破片の発掘もさせて頂き各時代の破片が時代の埋没から陽の目を見たいと訴えてくるエネルギーを感じました。
急速な社会進歩の中の歴史の埋没は正しい事ではなく、正確な陶磁史の保存と認証が成されるべきだと思います。
『古きを知り未来に生かす』為には保存と調査が必要です。
とにかく世界的な知名度は低いのですが高濃度な古窯址である事に間違いはない事を実感しました。

今回の訪中にあたりご尽力頂いた中国政府、河南省 区、北京師範大学の教授で書や彫刻の第一人者、人間国宝の陳小林先生、同じく天目の第一人者の李先生、元中日友好病院の医療関係の先駆者の李秀池先生、数十年に渡る中国とのパイプ役の宇木先生、通訳して頂いた元早稲田大学の留学生の孟さん、 河南省の陶芸家の皆さん、その他のご協力頂いた多くの皆様に感謝申し上げます。