中国 ・焼物探訪 その②


2017年9月1日、金曜日CA182にて一路北京に向かう。
四時間半のフライトなのだが日付変更線で1時間戻すので実質3時間半?
昨日までのデパート出店と指の化膿での抗生物質の投薬の為か泥の様に
眠った様だ。機内の様子はまるで記憶にない。

後で調べてみると中国への旅は約15年ぶり位だった。
何故中国なのか?と言うと私の仕事が無名異焼の窯元の代表であり、そのきっかけは跡継ぎという事もあるが美術館にて国宝の曜変天目に出会った事にある。
その時の記憶では館内は人で溢れ鬱陶しい気持で歩いていたが急に気配が変わり振り向いたらスポット浴びて宇宙の輝きを放つ強烈なパワーを放ち圧倒的な存在が在った。
動きたくても金縛りにあった如く動けなくなった。気がつけばもう閉館ですよと警備員が肩を叩き外に出た。それが運命の出会いだった。

窯元に生まれ反発してもいずれ背おう運命だったのかも知れないが自分の中では自由は制限されるのはわかっていた。父の代は問屋に卸し家族や従業員の為に朝から晩まで働き詰めで同じ物を飽きるまで作る。忙しさのあまり地元の行事や子供の学校関係の事もノータッチ。
子供ながらに寂しい思いもしたが自分の子供にはなるべく繰り返したく無かったが結果は子に聞くほかはない。
曜変天目に出会う事が契機となり、自分の中でマイナスを受け入れ最終的には出来るものなら再現したいという夢に向かう目標を得た。暇があれば天目や青瓷、辰砂、鈞窯など中国陶磁の本を読み釉薬の研究を始めたが、いきなりの曜変天目は無理だと理解し裾野から目指す事にした。もちろん家業を第一としながら。全てが後で繋がるのは不思議なものである。

そんな自分の目標を繋いでくれるのは不思議な事ながら人の御縁だと思う。
感謝しかない。それを忘れず私も出来るだけ繋いでいかねばならない。恩返し。

前置きは長くなるのは仕方ないが取り敢えず北京空港に着く。

空港内も15年ぶりの為かすっかり変わっていた。
全てが近代化されデジタル化されていてパスポートに情報がインプットされているし顔の認証もされる。ただ人間の性質は変わらない。
入国審査では中国人と外人は分けられ、どんなに外国人が溢れ行列が出来様がマイペースな対応をする。日本人の感覚とは随分異なる。審査で約1時間要する。帰国は早めにしないと無理だと感じた。
日中関係の悪化の為か日本語の案内が極端に少ない。そういえば車も日本製を見かけなくなった。聞けば市民は日本製が好きな人は多いらしいのだが。
空港からモノレールが出来ていた。出迎えてくれるのは李先生や孟さん。佐渡にも遊びに来ているし日本語も通じるので安心出来る。ホテルやスケジュールも全て手配して頂き最初から何の不安も無く北京の地に立つ事が出来た。
ホテルは北京華僑大廈酒店。立派なホテルなのに安い。ディナーはホテル内のレストランで。
朝はバイキングでとにかく美味しいものが盛りだくさん。。。後で後悔するのだが。。。

先ずは北京の1日目は爆睡。